高知市の西側に位置し、高知西高校や市立西部中学校など学校の多い文教地区でもある鴨部。
この鴨部に、かつてお城があったことをご存知でしょうか。
鴨部の西側で朝倉との境、土佐道路沿いのココスを脇に入った辺りです。
下の地図で道路が放射線円形状に広がっておりこの環内が丘状に隆起していますが、この地形が、丘城の外郭を思わせます。
東側の道から、その、鴨部城があったという丘陵を見上げます。
丘の上には何やら意味ありげな、印象的な木がそびえ立っています。
上り坂の右脇は、公園として整備されています。広くて過ごしやすい、素敵な空間でした。
上り坂の先には、あのシンボリックな樹がそびえ立ちます。
丘の頂上には石製の鳥居が見え、その奥に神社がありました。「八幡神社」と書かれています。
神社の向こう側にはあの印象的な霊木(?)と、これまたインパクトのある大きな岩があります。
この木と岩の佇まい・・・どことなく神秘的な雰囲気をまとった、特徴的な風景です。
鴨部城の遺構は残っていないそうなので、この岩などはお城とは関係ないのかもしれませんが、やはり特別な場所であると感じます。
丘上部は宅地や公園となっていますが、とても居心地がよく、実際に営業っぽいサラリーマンや運送業の人が休憩(サボり?)していました(笑)
皆さん、いい場所を知ってるんでしょうね。
そして丘下を見晴らした眺めは最高!
こういう地理条件を目の当たりにすると、やはり昔、ここにお城があったんだなあと実感します。
さて、この鴨部城ですが実は、いつ?誰に?建てられたのか、不明なのだそうです。
歴史資料などが残っていないのでしょうか。
そして鴨部城周辺や鴨部地区には、神社仏閣など宗教施設がとても多いのです。
例えば鴨部城跡の丘を南に下ってすぐのところにある、信楽寺。
こちらが浄土真宗本願寺派の信楽寺です。親鸞上人像が迎えてくれます。
そして信楽寺の数区画先に、岩之上神社というこれまたユニークな佇まいの神社が。
住宅の隙間の本当に狭い一区画に、ちょっとした盛り上がった土地(大岩?)があり、そこから大きく枝を伸ばした神木が生えそびえています。
その名の通り「岩の上」に建つ神社・・・なかなか珍しい光景です。
鴨部城跡から鏡川の方へ向かって北上し、西高校の裏手辺りを歩いていると、奇妙な形状の一本木が目に入ってきます。
独特な存在感を放つ不思議な霊木。
この木が植えられている敷地には、土佐西国三十三観音霊場第31番の「かまえ堂」があります。地図上では「三佛堂」と表記されています。
そしてその道をまっすぐ進むと、延喜式内社の郡頭神社が見えてきます。
延喜式内社とは、延長5年(927年)の延喜式神名帳に記載された全国の神社のことで、つまりそれほど古くからある由緒正しき神社というわけです。
郡頭神社の創建年は不明ですが、由来については続日本紀(768年)に記載があるそうで、本当に、すごい昔からあるんですね~。
その由来とは・・・
『続日本紀』神護景雲2年(768年)11月18日条では、「土左国土左郡人神依田公名代」ら41人に「賀茂」姓を賜うと見えるが、この「神依田」は付近の地名「神田(こうだ)」を指すといわれる。また、『新撰姓氏録』摂津国神別 地祇 鴨部祝条には「鴨部祝。賀茂朝臣同祖。大国主神之後也」と見える。これらの記事から、鴨部一帯に居住した賀茂氏・鴨部氏(賀茂氏の部民)が、祖先神として大国主命を祀ったのが当社の創祀といわれる。
―郡頭神社 – Wikipedia より引用
古代、この地の人びとが京の「賀茂」性を賜ったのだそうです!
「鴨部」の地名もここから来てるのだとか!
古代では、この郡頭神社あたりまで浦戸湾だった(海だった)そうですし、鴨部地区は開発の進んだ都会であったそうです。
なので、由緒正しい神社・仏閣が数多く建ち、現代のパワースポットとなったのかもしれません。
最後に、この近辺で撮影した、何ということはないある日の夕暮れ(だけど美しい一日の終わり)写真を掲載しておきます。
こういう写真が偶然撮れるのも、この土地が持つエネルギーなのだろうか・・・。
今回のスポット
この記事を書いたヒト