前回記事はこちら ↓
宮本屋と大勝軒のはなし その①【高知ラーメンヨモヤマ話】
前回、高知市南はりまや町の「宮本屋」さんと、その修行先である「永福町大勝軒」さんをご紹介しました。
「永福町大勝軒」は本店であり、ここから独立しのれん分けされたグループ店はゆうに20軒以上もあります。「宮本屋」も当初は「大勝軒」としてオープンしたのだそうです。
この「大勝軒」という店名、ラーメン界では知らない人はいないほどのレジェンドなのです。
ラーメンに詳しくない人や、関東圏以外でも有名なので、おそらく高知の人も聞き覚えがあったのでしょう、「宮本屋」の店内貼り紙にはこのように書かれていました・・・
違う大勝軒と勘違いされ「なんでつけ麺ないの?」と言われ・・・
んんっ?!
「違う大勝軒」ですと?!
実はここに、ラーメン界を永きに渡って混乱させている、ある「問題」の謎が隠されています。
その「問題」とは、もう本当に、神の気まぐれとしか思えないような偶然によってもたらされたのでした。
なんと「大勝軒」という名前のラーメン屋さんは(大きく分けて)3つあるのです!
3つの「大勝軒」はお互いに関係はなく、本当にたまたま同じ名前なんだとか・・・ちなみにラーメンの味も作りも、3系統でぜんぜん違います。
さらにややこしいのは、3つが3つとも老舗であり超名店であり、それぞれたくさんのグループ店を生み出しているということです。
あちこちに増え続ける「大勝軒」というラーメン屋・・・他の「大勝軒」と勘違いして、味の違いに驚き混乱するという事件が続出しました。
これが、「宮本屋」でも起きた大勝軒パニックの真相です。
日本を代表するレベルの名店がたまたま同じ名前になるって、どんな確率だよ・・・まさにウソのようなホントの話なのです。
では大勝軒の3系統とは、何があってどう違うのか?それぞれご紹介したいと思います。
(※あくまでも初心者向けにわかりやすくした、大ざっぱな解説です。厳密にはこの3つ以外にも「丸長系」「中野系」「代々木上原系」などいくつかの分類・呼称が存在し、詳しい方が読むとツッコミ所もあるかと思いますが、ご了承ください)
「宮本屋」の修行先であり前回記事でも紹介した「永福町大勝軒」、ここを本店とする系列店なので「永福町系」と呼ばれます。
上述したように、こちらののれん分け店だけでも20店舗以上ある、一大グループです。
煮干を効かせた醤油スープに、細ちぢれ麺というスタイルです。
本店では「中華麺」という醤油ラーメンメニューしかなく、つけ麺はやっていません(←ココ重要!)
もっとも有名なのがこの、東池袋大勝軒を筆頭とするグループ。
「東池袋大勝軒」店主・山岸一雄さんは「つけ麺」の創始者としてメディア露出も多く、その顔と名が広く知られました。「ラーメンの神様」と呼ばれることもあり、もしかしたら日本一有名なラーメン屋店主かもしれません。
つけ麺の普及、カップラーメンなど商品化、雑誌&TVなどメディア露出・・・こうした流れを受けて、この系統の「大勝軒」という名前が、全国的に有名になっていきました。
「大勝軒」と聞くとこのお店を思い浮かべる人が、もっとも多いことでしょう。
前述のA.B.に比べると知名度が低く、系列店も少ないのがこの「人形町系」です。
しかしその歴史は古く、人形町にあった「大勝軒総本店」の創業はなんと1905年(明治38年)だそうです!「ラーメン発祥の店・浅草来々軒」よりも古いことになる、老舗中の老舗であり、この「大勝軒」も十分なレジェンドですね。
現在は「総本店」は閉店してしまい、その流れを汲む系列店が、いくつか残るのみとなっています。
↑ こちらが「大勝軒総本店」最後の料理長・楢山泰男さんが今も厨房に立つ「HALE WILLOWS」というお店。屋号は「大勝軒」ではないけれど、名店のメニューと味は後進にしっかりと受け継がれています。
いかがでしたでしょうか?
特に、つけ麺で有名なB.東池袋系との間違いが多く、醤油ラーメンしかやってなかった「宮本屋」さんで「大勝軒なのにつけ麺ないの?」と勘違いされた事件も、このパターンだと思われます。
これからは「大勝軒」というラーメン屋さんに入るときは、事前にどの系統か調べることをおすすめします。
または、違う系統の食べ比べも楽しいので、あえて調べずにトライしてみるのも良いかもしれません。
ぜひとも、すてきなラーメンライフをお送りください!🍜
この記事を書いたヒト
あちこちのラーメンを食べ歩き「ラーメンデータベース」というサイトにレビュー掲載しています。
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https://ramendb.supleks.jp/u/150937.html