• 2018/10/31

宮本屋と大勝軒のはなし その③【高知ラーメンヨモヤマ話】

なぜ「宮本屋」さんで「大勝軒出身なのにつけ麺ないの?」と言われたのか?有名な「大勝軒」と、つけ麺にまつわるお話です。

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前回までの記事はこちら ↓
宮本屋と大勝軒のはなし その①【高知ラーメンヨモヤマ話】
宮本屋と大勝軒のはなし その②【高知ラーメンヨモヤマ話】


前回までの記事で、こちらのラーメン屋さんを紹介しました。
宮本屋@高知市南はりまや町_とさでん ごめん線『はりまや橋駅』

「宮本屋」外観

そして「宮本屋」の修行先である「大勝軒」・・・この、同じ名前の有名店が3つもあるために数々の混乱を巻き起こしたという「大勝軒問題」について、ご理解頂けたかと思います。

今回は「宮本屋」さんで起きた「大勝軒なのにつけ麺ないの?」事件について、お話ししたいと思います。

つけ麺の元祖「東池袋大勝軒」

3つの「大勝軒」の中でももっとも有名なのが「東池袋大勝軒」
「つけ麺の創始者」「ラーメンの神様」などと呼ばれる、山岸一雄さんが店主を務めていたお店です。

東池袋大勝軒 本店@東京メトロ有楽町線『東池袋駅』

カップラーメンや袋麺など数多く商品化され全国的に流通し、しかもそのパッケージに毎回のように、山岸さんの顔写真と「大勝軒」の名が使われました。そのため店主の顔と店名、「つけ麺の創始者である」というエピソードだけは、広く知られることとなったのです。
きっと「お店で食べたことはないけれど、大勝軒とつけ麺のことは知っている」という人は多かったことでしょう。(私もその1人でした)

現在は閉店してしまった、とあるラーメン屋さん店頭にディスプレイされていた山岸一雄像。このビジュアルに見覚えのある人も多いハズ。

店員が、残った麺をざるそばのように食べていたまかない食を、常連客が「自分にも食べさせて」と言ったのが「つけ麺」が生まれたきっかけだとか・・・
または「もりそば」という名前の由来は、店主・山岸さんの出身地でそばの産地でもある長野県だとか・・・
とにかく印象に残りやすい興味深いエピソードが多く、これらはたびたびメディアで紹介されました。

こうして「大勝軒」といえば「つけ麺」というイメージが、多くの人に刷り込まれたのです。

醤油ラーメンしかない「永福町大勝軒」

一方で、「宮本屋」の修行先である「永福町大勝軒」は、メニューに醤油ラーメンしかありません。チャーシューやメンマを増やしたり、生玉子を付けた派生メニューが有るのみで、塩味すらやっていません。

永福町大勝軒(本店)@京王井の頭線『永福町駅』

のれん分けされた「宮本屋」も当初は同じ、醤油ラーメンのみのスタイルで開業したそうで、これを勘違いしたお客さんに「大勝軒なのにつけ麺やってないの?」と言われたのだと思われます。まあ、無理もないですよね・・・(-_-;)

現在はつけ麺もやっている「宮本屋」

そんな「宮本屋」さんですが、現在はつけ麺もやっています。お客さんから「つけ麺ないの?」と言われたことをきっかけに、始めたそうです(笑)

つけ麺 長男(しょうゆ)¥850/麺・・・冷い、太い¥0 ※価格は2018年10月時点のもの

↑ 上が「宮本屋」のつけ麺です。そして
↓ 下が「東池袋大勝軒」のつけ麺(もりそば)です。

特製もりそば¥800 ※価格は2018年10月時点のもの

ね?「東池袋大勝軒」のつけ麺とは、ずいぶん違うでしょう?

つけ麺はその後、何度かのブームと波及を経て日本全国に広まり、今ではラーメンと肩を並べるほどの人気メニューになりました。
「宮本屋」さんでつけ麺を食べたことない方、「大勝軒」の「もりそば」を未食の方など、是非トライしてみてください~🍜


今回紹介したラーメン屋さん

高知県高知市南はりまや町1-6-1

 

 

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↓ 大勝軒監修のつけ麺セット。ご自宅で大勝軒の味を楽しむことができます。

↓ こちらはスープのみ。

「大勝軒」と山岸一雄さんに迫った、国際賞にも輝いたドキュメンタリー。
意外というと失礼ですが、ものすごくいい映画!映像も内容も美しく迫力があり、これを見た後はもう「たかがラーメン・・・」なんて言えなくなるほどの尊さを感じます。
Amazonプライム・ビデオもあります。

この記事を書いたヒト

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